mpi English Schools ことばの広場 3丁目先生:Tsuneko Tina Yano (つねこ・ティナ・やの)

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一年前のごあいさつ

2011.03.07

(↑この春の写真は、今東京で勤務しているシンガポール人のGoo Lay Guanさんが撮影されたものです。)

(↓2010年4月開校直前に、きたるべき生徒さんのご父兄に宛てた自己紹介です。来月から2年目に入ります。新しい生徒さんとご父兄にお目にかかるのを楽しみにしております。少し長いですが、お読みいただければ幸いです。)

はじまり、はじまり・・・・・・

静岡県の西部にある、遠州森町(森の石松という馬鹿なヤクザの出身地ということになっています)という山と川に囲まれた(地元民は小京都とか勝手に言ってます)のどかでいい町の、母の実家である曹洞宗のお寺で産声を上げました。裏山も小川も、自然は全て自分のものという感じで遊んでおりました(ちょっとハイジみたいですね…)。私が生まれると同時に飼い始めたスピッツのピーター(・パン)といつも一緒でした。祖父は良寛さんみたいなお坊さんで、もうすぐ死にそうな野良犬を連れてきたり、戦災孤児の子供さんを引き受けたり、戦後から幼稚園もしていましたから、常にいろいろな人でいっぱいでした。それに、高校の英語教師だった父が謹慎処分の学生さんを預かって鍛えたり、顧問の柔道部の合宿をしたり、遠隔地からの学生が泊まったりと、本当ににぎやかでした。2つ下の妹「七世(ななよ)」はいつも私の後を追って一緒に遊んでいました。

私が5つのとき、お寺を出て、同じ町ではあるけれどちょっと離れて4人での新しい生活が始まりましたが、相変わらず生徒さんが寝泊りしていて、遊んでくれるお兄さん・お姉さんがいつもいるのはラッキーでした。母は幼稚園教諭で子供が大好きで家に帰っても、その延長でした。何かいつも遊んでいた記憶があります。これが私の子供時代です。好きだったことはドッジボール(毎朝・毎休み時間)・ソフトボール(ピッチャーでした)・ポートボール・ピクニック・紙芝居・絵本・歌・ボードゲーム・かるた・探検ごっこなどなど。父の実家は元はお茶(緑茶)屋でしたが、祖父の代でつぶれ、父の長兄が眼鏡時計店を始め、そこの家には従姉が5人もいて、姉妹のようによく遊びました。現在の会社の名前「セブン・シスターズ」は、我々2人姉妹+従姉5人を併せると7人姉妹みたいだったことと、天国から応援してくれているに違いない妹の名前「七世」から「七」をもらい、名付けました。

さて、小4のとき名古屋のパノラマ・シアターで「サウンド・オブ・ミュージック」を見て、山・音楽・ことば(英語)の美しさに衝撃を受けました。それがその後の私の人生を決めたと言っても大袈裟ではないと思います。知らないうちにこの3つを追い求めてきたようです。中学は卓球部に3ヶ月、もっと大きいボールを求めバスケットボール部に変更。高校は山岳部・大学もワンダーフォーゲル部と山やスキーに熱中していました。専攻は英米文学です。エミリー・ディキンソンというちょっと変わった詩人に夢中になりました。また、音声学の授業で英語の物語の本を丸ごと一冊、発音記号で書き直すという作業を通して、英語の発音に興味を持ちました。しかし、卒業後、機会あるごとに英米圏のネイティブの人に発音記号について質問しても、一般人はもちろんのこと、英語の先生からもあまりピンと来る解答が返ってこないのがいつも不思議でした。

会社は浜松にある河合楽器製作所本社の海外事業部輸出課で上司の下2年間、貿易英語の基礎を学び、その後同じ部の商品課でやりがいのある仕事につきました。輸出した楽器に故障が起きると英文のクレームレターを受け、そこから部品を工場に注文して調達でき次第、輸出手続きをするという仕事を3年。私は電子オルガンやシンセサイザーを担当、隣の席でピアノを担当していたのが後に夫となる矢野健太郎です。

その後、夫のシンガポールへの赴任が決まり、部内では一般的に欧米や豪州が好まれる中、夫も私も大喜びし、意気揚々とシンガポールに向かいました。ご存知のようにシンガポールには中華系、マレー系、インド系、ヨーロッパ系と様々な人種が住み、幼稚園から英語教育が始まり、それと同時にそれぞれが母語である中国語、マレー語、タミール語も学びます。様々な言語が普通に話されている環境はとても魅力的でした。私も中国語を直説法で習いマレー語は耳から習いました。この経験は非常に新鮮で音がいつまでも記憶に残っています。

夫の赴任は当初3年ということでしたが、あっという間に11年が過ぎました。その間、私は前々から準備していた日本語教師としての職を得ることができ、民間語学学校、コミュニティ・センター、ポリテクニック(日本の高専に相当)、2つの国立大学・・・と縁があれば意気に感じ、夢中で勉強して経験を積んでいきました。夫が会社を辞め独立したのは二人の長年の夢である語学学校「矢野ランゲージ・スクール」を立ち上げるためで、それが2000年1月です。とうとう夢が叶ったわけですが、最初はどのクラスも少人数でした。しかし、次第に増え始め、2年目からは約200人のシンガポール人や近隣諸国の外国人に日本語クラスで教えることができました。

2004年にオーストラリアに嫁いでいる妹の病気が分かったとき、夫の決断は早かったです。「学校を売却し、オーストラリアへ移住しよう。一緒に過ごそう。」売却先が決まり、移住の手続きを進めているとき、妹は2004年の12月に急死しました。癌が転移していてもシドニー国際交流基金のチーフコーディネーターとしてずっと仕事を続け、12月の初め、日本語能力試験の監督官としてアデレードへ飛行機で出張時、足に血栓ができ、それが肺に来てしまったのです。同時に、夫の母に国から難病指定を受けている「脊髄小脳変性症」という診断がなされ、「帰国」の踏ん切りができました。それが2005年5月です。計16年間の海外生活にピリオドを打ちました。夫は、帰国後、全く違う分野の介護の仕事に就きました(認知症のお年寄りが住むグループホーム)。半信半疑で始めたと思いますが、これが天職とばかりに彼には合っていたようです。母の介護にもとても役立っています。既に5年が過ぎ、介護福祉士の国家試験にも認知症ケア専門士の試験にも合格し、回りがどんどん辞めていく中、既に施設長として無くてはならない存在となっています。介護職というのは、身体はもちろんのこと、常に怪我や事故のないようにと神経を使う本当に頭の下がる仕事です。

私は夫と夫の両親の理解と協力で、2007年4月にセブン・シスターズという会社を立ち上げ、シンガポールの教え子たちが短期で生活しながら日本語を使える場とすると同時に地元の子どもたちが英語を学ぶ場とし、お互いが気軽に交流できる場を作ることを目指しました。それが「ことばの広場3丁目」です。震災から見事に復興したこの街がもっともっと元気になるよう、私たちの終の棲家となるであろうこの地に少しでも貢献したいという思いもありました。2009年2月から3月、従妹の住むバンクーバーで発音特訓コースを受けました。発音には興味もかなりの自信もありましたが、シンガポールで身につけたのはシンガポール風味のイギリス英語でしたから、カナダ・アメリカ英語との違いに「英語といえどもさまざまなんだ」と再認識しました。帰国後、三宮のジュンク堂でmpi(旧松香フォニックス研究所)の『9年間カリキュラム・ブック』→こちら や教材に巡り合いました。電撃的な出会いでした。フォニックスというのは英語圏の子供たちが英語の音と文字を結びつける学習方法です。ネイティブは発音記号ではなくフォニックスを学び、発音記号を知らなくても自分で読めるようになるのです。これこそが私の長年の疑問への解答でした。とりつかれたように『mpiの初級セミナー』→こちら、『J-Shine小学校指導者認定セミナー』 →こちら 『mpi中級セミナー』と夢中で受け、幸運なことに試験に合格し、mpiパートナーシップの認定を戴きました。2010年度から、新たにmpi English Schools 「ことばの広場 3丁目」としてスタートします。

この広場が老若男女がことばを通して集う本当の広場になるよう、残りの人生を懸けたいと思います。松香洋子という英語教育のパイオニアが始めたmpiには30年の歴史があります。ゴールはコミュニケーション山です。英語の楽しい活動から、友だちと協力し、理解し、違いや間違いを受け入れ楽しみ、小さなことから自信を積み重ね、いつの日か、外国人と話して通じないときは言い換えてみたり、ジェスチャーや絵や表情を使ったり、知恵と勇気と気転を利かせて総合力で何とか通じさせてしまう、そんなティーン・エイジャーを見たいです。子供時代の楽しい思い出は一生の宝物と聞きます。そのためにも私は今バックパックにおいしくて栄養のある食べ物や飲み物を一生懸命パッキングしています。可能性をいっぱい秘めた子どもたちにmpiの教材を通して、楽しい英語を伝えたいです。そして子どもたちと共に私も成長したいです。今は介護福祉士として全力を尽くしていますが、大阪外国語大学フランス語科出身で語学が大好きな夫がいつの日か、加わってくれるのを楽しみにしています。何故なら、語学センスがあり、耳がよくて、創造性があって、子どもの心を持っているからです。

私の人生の第一期は私が私になった10~20代、第二期はシンガポールで日本語と日本について真剣に取り組んだ30~40代、そしてこの50~60代は英語に懸ける第三期となるでしょう。早世した実母と妹には三期はありませんでした。二人の分を生きなければと思います。もし、第四期が与えられるのなら、それは素敵なおまけです。まずはこの三期を全うすることだけを考えます。今はワクワクした思いで生徒さんを待っています。どうぞよろしくおねがいいたします。