スクールBlog
広島を訪れて
2026.07.20
この春、初来日した英国の友人が「広島と宮島が一番良かった」と話していたことが心に残り、先日、広島を訪ねました。
平和記念資料館では「被爆した東南アジアの留学生たち」という特別展が開催されていました。第二次世界大戦のさなか、インドネシア・フィリピン・ミャンマーなどから200名もの若者たち(18~22歳)が、故郷を離れ、遥々海を渡り、慣れない日本で学んでいたことを初めて知りました。


そのうち約20名は広島市内の寮で生活していた1945年8月6日、原爆の投下に遭いました。命を落とした方、負傷しながらも近隣の人々の救助にあたった方、生き延びながらも後に発病し異国の地で息を引き取った方、そして戦後に帰国しながらも広島の人々との交流を続け、日本との懸け橋となってくださった方々――それぞれの人生が丁寧に紹介されていました。

私は戦後50年の節目にイギリスで暮らし、外国で生活する大変さを少しは経験しました。しかし、戦時下の彼らが味わった飢えや恐怖、いつ襲撃されるか分からない不安を思うと、当時の若者たちの苦難は想像をはるかに超えるもので、「大変だった」などという言葉を軽々しく使えない気持ちになりました。
現在、日本人に英語を、外国の方に日本語を教える機会をいただいています。学習アプリや教材、映画や動画など、当時とは比べものにならないほど恵まれた環境が整っています。それでも外国語習得は容易ではありません。そんな中、80年前の留学生たちが残した書簡や短歌を読み、その流暢さに驚かされました。


そして何より、故郷の家族や友人を慕う気持ち、日本で育んだ友情が言葉の端々から伝わり、胸が強く締めつけられました。
30年前、初めての海外生活で無力さや孤独、不安の中にいた私を支えてくれた数々の優しさを思い出し、今度は自分が日本で暮らす外国の方々を少しでも支える存在でありたいと、改めて感じました。
「武力(核兵器)では何も解決できない。No more nuclear weapons!」 広島の方々のこの声が、世界の隅々まで届きますように。
(補足)

*補足
2歳で被爆し、わずか12歳で亡くなった佐々木禎子さんの記念像と、平和を願う人々から寄せられた千羽鶴。
オンライン受講の生徒さんが 「うちらの6年生も先週、修学旅行で折り鶴持っていったよ。この中にあるかも!」 と教えてくれました。
大阪の小学校6年生の修学旅行は広島なのだそうです。
